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東白川村の「廃仏毀釈」

十二、ゆかりの仏像仏具

石造六地蔵尊
廃仏毀釈当時の所在地 不明
現所在地 地蔵堂
  岐阜県羽島郡笠松町中野(なかの)
形式形状 石造
 材質は、像の部分=流紋岩
 台座の部分=花崗岩
 (笠松中学校大橋教論の鑑定による)

像高等
 全体の高さ 75センチメートル
 (内訳)
 像の部分の高さ 50センチメートル
 台座の高さ 25センチメートル
  蓮華の部分 8センチメートル
  棹の部分 17センチメートル
 像の幅 15センチメートル
数量 6体
像と台座が分離するので、石塊の個数は12である。
銘文 (別記のとおり)
建築年代 天保6年(1835)
作者 不詳
 笠松町中野の真新しいお堂に立派な石造の六地蔵尊が安置されています。

 昭和62年(1987)、このお堂が改築されることとなり、その工事のため、地蔵尊は一時地元の浄土真宗称名寺の経堂に仮安置されることになりました。そのとき、中野の郷土史家元教員松原八重子は、6体の地蔵尊の台座の棹に刻まれた銘文を調査して、ある疑問を持ちました。それは、刻まれた人名の全てについて中野の人に心当たりがないこと、「安江(やすえ)」の姓が多いこと、「越原(おっぱら)」常楽(じょうらく)」などの文字があることでした。

 松原は、東白川村に「安江」の姓が多いことを知っており、直ちに東白川村に連絡しました。

 その後銘文などの調査で、この六地蔵尊は東白川村にかかわりのあることが確実となりました。しかし、いつ、どのような経路で、だれがかかわって、この六地蔵尊を東白川村から笠松町中野まで運んだのか、今のところ、それを知る手立てがありません。

笠松の六地蔵

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