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東白川村の「廃仏毀釈」

十一、仏教の名残―今

 明治三年、廃仏毀釈が断行されて以来、東白川村には寺がなくなり、仏像や仏教に関する器物がなくなりました。しかし、そのことで、長い間生活そのものとしてきた仏教に対する信仰心をすべて滅却することはできませんでした。

 今、わたしたちの生活の中にある宗教的な行事やしきたりを振り返ってみると、日常、それと気付かないまま、根強く染みついている仏教とのかかわりに気付きます。 あえて、それらを列記することにしました。
◇盆と御霊祭り
 8月1日から3日までをお盆の休日としています。そして、同じ日の14日から16日までを「うら盆」の休みとしています。「うら盆」は「裏盆」と解釈されているようですが、そもそも「盆」は7月15日に行われる仏教行事のこと、その上、似通った行事が1月に2回もあることは、何か変に感じます。

 それを解き明かす資料が蔵多文書の明治4年の記録の中に見つかりました。それによると、

「王政復古御一新により苗木管内は仏教が廃止になり、神道となったので、「七月盆」といっていた14、15、16日の休日は差止めとなり、7月1日、2日、3日を「御霊祭り」と称して休日とすることになりました。これは、丁度一年の境の月に当たり、「裏正月」のような意味があります。正月は神を祭ることを第一とし、7月は御霊を祭ることが中心です。7月3日の内は、万事清らかにして、珍しい物を先祖の御霊さまに供えて祭ります。なお、7月15日は七節句の内であるので、休日とすることになりました。」
というわけです。

 これは旧暦ですから現在のように太陽暦にすれば8月になります。

 「盆」というのは、「盂蘭盆」の略で、祖先の霊を自宅に迎えて供物をそなえ、経をあげる陰暦7月15日を中心に行われる仏事のことですから、当然、廃仏毀釈後は廃止されたわけです。その代わり1日、2日、3日を御霊祭りの休日としたのです。

 ところが、いつの間にか「1日、2日、3日の御霊祭り」が「盆」に戻ってしまい、「14日、15日、16日」が「盂蘭盆」を「裏の盆」と勘違いするおまけまでついて復活し、定着してしまいました。 したがって、8月1日から3日間、心を込めた御霊祭りを行うのが神道の本来のあり方のようです。

 また、迎え火を焚いて、祖先の精霊を迎え、送り火を焚いてお送りします。これは仏教でも行われますが、明らかに神道の思想から出たことです。

 なお、あえて付け加えれば、お盆は、今や神仏が混ざり合って、仏教行事でも神道行事でもなく、完全に日本人の民間行事だとする識者もいます。
◇線香と抹香
 神棚や御霊棚の前にお線香が焚かれているのを見かけることがあります。また、お通夜のとき、死者の枕べに線香の煙が揺れています。

 そもそも香は仏教で用いるもので、インドの習慣が入ってきたもののようです。釈迦の遺骸は、香木で荼毘(だび)に付されたといいますから、死体の臭いを消すためにそのようにされたのだと思われます。仏葬のときの焼香には、やはりそのような意味があります。

 したがって、神棚や御霊棚の前に線香は不向きといえるでしょう。

 廃仏毀釈のころの神葬には、死体の側に酢を置きました。
◇香奠と玉串料
 人が死んだとき、その故人を悼んで、霊前に現金を包んで供える場合、上書きに「御香奠」「御香典」と書いてあるのを見かけます。仏式の場合はこれでいいのですが、神式の場合はいけません。神式の場合は、蓮の花の印刷されていない袋に、「御玉串料」とはっきり上書きしたいものです。

 先方の宗教がはっきり分からないときは、「ご霊前」と書くと無難です。神仏どちらにも通用します。

 しかし、会話の中には、「香奠を包んでおけ」とか、「香奠を忘れるな」とか、香奠という言葉は抜くことができないでいるようです。
◇春と秋の彼岸
 「彼岸」という語は、仏教の用語だということはお互いに知っていながら、毎年その時期になると「彼岸参り」をし、「お墓参り」をします。それほど「彼岸」は神道の東白川村にも定着しているのです。

 日本仏教では、春分の日、秋分の日を中心として前後3日間ずつ、計7日間にわたって、彼岸会(ひがんえ)と呼ばれる法要が行われます。

 春分または秋分とは、24節季の一つで、太陽の中心点が春分点または秋分点に来たとき、すなわち、太陽の黄径が0度になるときをいいます。このとき太陽は、赤道の真上にくるので、地球上の昼と夜の長さが等しくなります。太陽は真東からでて真西に沈みます。

 日本人は古くから、死者の往く「根の国」は遠く海の彼方または地底深くにあると考えていました。仏教の場合も死者の極楽浄土は西方十万億土の彼方にあるとされています。したがって、春分の日、秋分の日に真西に沈む太陽を眺めつつ、ご先祖さまを偲ぶということは仏教のものだけではないといえます。

 「彼岸」という語はともかく、東白川村の人びとの春分の日、秋分の日に対する考え方には、仏教渡来以前からの祖霊信仰が深く息づいているように思えます。

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