九、信州高遠の石工
東白川村と高遠石工
東白川村には石仏や石垣などの石造物が多くあります。中でも石仏は廃仏毀釈によって破壊されてしまっただろうと思われてきましたが、探してみると意外に多く残っています。これらの石造物は、その銘文などから建立者や寄進者の名を知ることは比較的容易ですが、だれが彫造し、だれが積み上げたものかを知ることは、大変困難なことです。困難というよりもほとんど不可能のことが多いのです。役場前の「四つ割の南無阿弥陀仏碑」だけは古文書が残っていますので、信州高遠(たかとう)の石工が彫ったものと分かりますが、他はまったく手がかりがないか、あっても証拠付けることが極めて困難です。
しかし、周囲の他の市町村の状態などからおおよそのことを類推することはできます。
東白川村の石造物は、信州高遠の石工或いはその系統の人たちの精魂込めた作品が多いように考えられます。
しかし、周囲の他の市町村の状態などからおおよそのことを類推することはできます。
東白川村の石造物は、信州高遠の石工或いはその系統の人たちの精魂込めた作品が多いように考えられます。