カテゴリメニューはこちら

東白川村の「廃仏毀釈」

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

 仏法を廃し、釈迦(しゃか)の教えを棄却するという意で、仏教を絶滅することをいいます。

 昔、中国で、北魏(ほくぎ)の太武帝(たいぶてい)の446年、北周(ほくしゅう)の武帝(ぶてい)の574 - 577年、唐(とう)の武宗(ぶそう)の845年、後周(こうしゅう)の世宗(せいそう)の955年の4回にわたる仏教弾圧がありました。三武一宗(さんぶいっそう)の法難として有名ですが、いずれも国家財政との抵触、教団の腐敗堕落、道教との確執などが理由でした。

 わが国では、明治初年、ときの政府の神道(しんとう)国教政策に基づいて、仏教の抑圧、排斥運動が行われ、特に慶応4年(1868)、神仏分離令が出されると、平田派国学者の神官を中心に仏堂、仏像、仏具、経文などの破壊、焼却が行われました。とりわけ苗木藩の仏教排斥施策は徹底していました。
 

このページをSNSに共有する

ページの先頭に戻る

文字サイズ

色の変更

閉じる