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東白川村の「廃仏毀釈」

四、神仏分離と神葬改宗

一斉に神葬祭へ
(村雲蔵多『明治三年見聞録』から-大要-)

 知事様が自葬をお願いになったのは、領内一同が自葬に切り替えて、早く寺を廃するようにとの思し召しでした。が、下々(しもじも)の者はその気にならず、延び延びになっていましたところ、9月10日までに自葬の願いをするようにとお達しがありました。

 若しそれまでに願い出ないで、仏道を立てなければならないと思う者は、仏道を廃してはならないという理由を早く申し立てるよう、厳しく申し付けられました。

 とても、お上(かみ)の仰せに背いてまでも仏法でなければならないというような人はなく、いろいろ小言(こごと)をいっていた人も、否応(いやおう)なくお達しに従い、9月1日までに村中自葬になりました。

 まことに快いことです。

 里正はじめ士族脇家などは7月の末に、16、7軒すでに自葬をお願いしていますし、私も只今家内揃ってお願いをしました。

 苗木の支配下はすべて神葬祭となりました。

このあたりは代々禅宗で、あまり仏道に凝(こ)らず、神を主に信心するところですから、仏を廃してもそんなにやかましくなかったのだと思います。

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