十二、ゆかりの仏像仏具
深妙寺にある元常楽寺の鐘楼 常楽寺の梵鐘
廃仏毀釈当時の所在地 | 臨済宗妙心寺派 安泰山 常楽寺 濃州加茂郡神土村平 (東白川村神土平) |
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現所在地 | 愛知県江南市宮田無量山深妙寺の鐘楼に吊されていたが、太平洋戦争中に供出されて現存しない。 |
形式形状 | 鋳造 |
数量 | 1個 |
銘文 | 別に記載するとおり。 |
建築年代 | 弘化(こうか)4年(1847) |
常楽寺の梵鐘は鐘楼と共に、廃仏毀釈が実行された明治3年の閏10月1日に中山道今渡村常介を介して尾張前飛保村無量山深妙寺へ売却されました。
売渡申一札の事
一 釣鐘一口 長五尺五寸
差口二尺五寸七分 但し鐘楼堂付き
右は、去る弘化四未(ひつじ)年御願い済みの上、鋳直し候ところ、今般本寺雲林寺始め御廃寺につき、両村檀中の者一統熟談の上、貴寺へ売り渡し申し、代金残らず受け取り申すところ相違これ無く候。もちろん、当御藩は申すに及ばず、檀中の者一人たりとも、かれこれ申すまじく候。後日のため売り払い申す一札、よって件の如し。
明治三庚午(かのえうま)年閏(うるう)十月朔日(ついたち)
美濃加茂郡神土村常楽寺帰農 安江良左衛門
同郡 越原(おっぱら)村世話人惣代(そうだい) 安江増兵衛
同郡 同村組頭(くみがしら)惣代 今井藤松
同郡 神土村世話人惣代 伊藤繁三郎
同郡 同村組頭惣代 早瀬清七
同郡 越原村里正(りせい) 安江猶一郎
同郡 神土村里正 安江新八郎
世話人中仙道今渡村 常介殿
尾張前飛保村 無量山 深妙寺 殿
一 釣鐘一口 長五尺五寸
差口二尺五寸七分 但し鐘楼堂付き
右は、去る弘化四未(ひつじ)年御願い済みの上、鋳直し候ところ、今般本寺雲林寺始め御廃寺につき、両村檀中の者一統熟談の上、貴寺へ売り渡し申し、代金残らず受け取り申すところ相違これ無く候。もちろん、当御藩は申すに及ばず、檀中の者一人たりとも、かれこれ申すまじく候。後日のため売り払い申す一札、よって件の如し。
明治三庚午(かのえうま)年閏(うるう)十月朔日(ついたち)
美濃加茂郡神土村常楽寺帰農 安江良左衛門
同郡 越原(おっぱら)村世話人惣代(そうだい) 安江増兵衛
同郡 同村組頭(くみがしら)惣代 今井藤松
同郡 神土村世話人惣代 伊藤繁三郎
同郡 同村組頭惣代 早瀬清七
同郡 越原村里正(りせい) 安江猶一郎
同郡 神土村里正 安江新八郎
世話人中仙道今渡村 常介殿
尾張前飛保村 無量山 深妙寺 殿
深妙寺は明治27年(1894)4月に現在地に移転し現在に至っていますが、常楽寺から移転した梵鐘は、太平洋戦争中に供出され、現在は昭和23年(1948)に新しく鋳造された梵鐘が吊されています。