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愛宕(あたご)様の祭り
7月24日の宵は、東白川村の各所で愛宕様の祭りが行われます。
愛宕様の総本社は京都嵯峨(さが)に鎮座する延喜式内(えんぎしきだい)社の愛宕神社で、祭神は火の神である火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)です。愛宕神(あたごのかみ)ともいいます。
愛宕神社のある京都愛宕山は、役行者(えんのぎょうじゃ)が文武天皇の大宝(たいほう)年間(701から704)に開いたところといわれ、その後、和気清麻呂(わけのきよまろ)が光仁(こうにん)天皇の天応(てんのう)元年(781)に王城鎮護の神として愛当護(あたご)大権現を勧請(かんじょう)したものが愛宕神社の基となったといわれています。それから神仏混淆(こんこう)の愛宕大権現として栄え、諸国に分社が広まりました。 東白川村の愛宕様は、多くは近くの山に小さな祠(ほこら)を造って祀(まつ)られ、昭和中期までは、7月24日の宵に、鎮火(ほしずめ)祭りとしての松明(たいまつ)揚げが行われました。松明揚げとは火祭りのことで、山の稜線(りょうせん)に輝く赤い火の光は幻想的な眺めでした。今は火災予防などのため、この火祭りはほとんど行われません。しかし、近所の人たちが「もやい」をつくって、毎年の祭りを継続しています。これは、愛宕精進(あたごしょうじん)と呼び、「もやい」の人が集まって精進潔斎し、五穀豊穣や村内安全を祈願した愛宕講の名残でしょう。
愛宕講では、決められた日に講元の家に集まって会食し、講金を積み立て、その額が一定の額に達すると、代表者が京都の愛宕神社に代参し、火伏せの神符を迎えてきました。そして講中に配布しました。東白川村でこれを続けているところは少ないようです。