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スローライフを実現している移住者インタビュー

移住者の紹介

写真:小林さんご夫妻

◆小林さん家族
 移住年月:
  平成28年8月に恵那から東白川村に移住
 家族構成:
  裕幸(ひろゆき)さん
  由佳(ゆか)さん

 

1.東白川村で定住を始めるまでのこと、定住場所として選んだ理由を教えてください

→1.裕幸さん談
 私の母親のルーツが高知県の四万十川流域で、この土地のような田舎に住んでおり、その母親の実家を毎年訪れていました。
 親族が牛飼いをしたり田んぼを作っていたり、そうしたことを目の当たりにするという経験が幼少期にあり、その体験が非常に面白かったということが一つあります。
 もうひとつは、父親が魚屋、母親が料理屋を営んでおり、サラリーマンとは異なった日々の糧を得て暮らしを立てるということを見て育ったということがあります。

 大学を卒業後、一応サラリーマンになりましたが、組織やチームの中ではやりたいことができないっていう現実がありました。
 企業なので利潤を求めることが目的になるのですが、もともと違和感がありました。
 スキルアップをモチベーションに代えて頑張っていましたが、35歳のときに大きな出来事があり仕事を辞めました。

 仕事を辞めると同時に、やらなければならないことをすべて止めました。
 まっさらな状態になったときに思ったのが「まずは、会いたい人に会いに行こう」。
 そして、テレビや本を読んで「感銘を受けた人に会い行く。」ということをしました。

 そうしたことを重ねているうちに見えてきたことが、「食と農業」に関わりたい、でした。
 大学時代に海外留学や数十か国放浪をしたこともかなり影響しています。
 そして渡りに舟で、沖縄へ1年間、NPOのプロジェクトに参加して、観光や農家民泊などで地域活性化などのお手伝いしました。

 その実績が買われてもう1年、隣町へ移り、広域連携で沖縄北部の地域活性化をしていました。
 その後、父親の不幸があり、母親の面倒を見なければならないという現実が迫りました。
 東海地方で、食と農の実践が出来る場所を求めていたところ、落ち着いたのが東白川村ということでした。
 
 そして今は、米や野菜の自給自足を確立するのが目標です。
 そして、余ったものをおすそ分けする場として、カフェであったり、食堂であったりと拡げて行けたらと思っています。
 なぜ広がりを持たせたいかといいますと、単純に、食べると笑顔が出るじゃないですか。その瞬間を見たいということです。
 つまり「人がつどい、集まり笑顔が広がる。」そうした場を食という軸で実践したいと思っています。

 ここに暮らすことを決めた理由が「水」です。
 自給自足を営む上で、必要なものがいい水、いい土です。
 また自然農法を勉強していたときに出会ったのが東白川村の方々でした。 

 私が名古屋のコミュニティ・ユース・バンクmomoというNPO法人の事務局を手伝っていたときのことです。
「水の綺麗なところで自給自足をしたい」というのであればと、ご紹介いただいたのが東白川村の笹俣さんでした。
 笹俣さんは自然農法をされている方でした。
 
 また別の機会で、隣町の白川町で自然農法に関する勉強会に参加していたとき、偶然隣の席におられたのが東白川村の安江さんでした。
 偶然にも東白川村の方と巡り合ったといういきさつがあり、これが東白川村に定住を決めた経緯です。
 
→1.由佳さん談
 私の母親が岐阜県の洞戸(現在は関市洞戸)というところの出身で、美しい板取川の流れがある地域でした。
 とにかく水が綺麗で、家の前を小川が流れていて、それが生活用水にもなっていました。
 その水で顔を洗ったり、飲んだりとか…。
 田舎に帰省すると、とにかく水が綺麗で、とても贅沢だなっていう印象がありました。

 住まいは長久手でした。
 学校を卒業して会社に入りましたが、好きなことをやりたいと思って、パントマイムの劇団に入りに大阪へ行きました。
 大阪の京橋というところで、すごく都会で発展していて、何でもあるし電車もたくさん通る場所です。
 ですが、何故か心が晴れないっていうことを感じながら生活していました。

 そんな中、実家の長久手に戻ってくると、とにかく空が綺麗なのです。
 そのとき感じたのが、「この自然環境って、すごく人間心に作用するな」っていうことを感じました。
 いつか、水が流れていて、畑とか田んぼができる土地へ行きたいと思っていました。

 その後、鍼灸師として仕事をしておりまして、人間の体に興味がありました。
 人間の体が一番の力を発揮できるのは、自然の流れに沿って生きているときだなと思いました。
 そして日の出とともに起き、日の入りと共に寝るという生活を体現したいという思いがありました。

 鍼灸院を開いた時に、ドリームマップという"3年後に自分がどうなりたいか"を紙に書く試みがありました。
 私は「自然と響きあって生きたい」と考え、そして「3年後の2016年8月にそうした生活を始めたい」と書きました。
 
 その後、いろいろなご縁があり、主人と巡り合ったのも縁ですが、2016年8月30日にこの村に来ました。
 ここに暮らすことを決めた主な理由が「水が綺麗」「土地がある」「神道の村」というのが大きなポイントでした。
 もともと宗教の中では神道が好きでした。移住するのであれば、神社のあるところがいいと思ってました。
 
 神社のあるところは、昔から地盤が強く、いろいろと条件がそろっていたのも魅力でこの村にたどり着きました。
 そして、この場所で鍼灸をやりながら、自然の流れに沿って生きていくことをとても気に入っています。
 
 この場所で鍼灸をしていますと、名古屋のお客様と違って、身体の質が違うのを感じます。
 それは、この場所の水を飲み、日の出、日の入りとともに暮らすという暮らしぶりがあるからだと思いました。

2.この村の中でリソース不足は感じますか…

→2.裕幸さん談
 この村は、横の関係を作りづらいということを感じています。
 
 何かアクションを起こそうと思っても、単体では作用していて優れているのですが、横のつながりがあれば、もっと加速度的に相乗効果を生む活動ができるのではないかと思います。
 その横のつながりが希薄なのは、村の方の気質ではないかと感じていますが、それを移住者のわれわれがつながりを持つ役割を果たせたら嬉しいと思います。
 
 もう一つ、村の中で充実していてほしいのが、学びの場=教育だと思います。
 生涯の体の動く間に、自分が新しい何かを見つけて成長していける生涯教育、社会教育がある環境ができるといいと思っています。
 村には、経験豊富な先輩や自然の力をうまく利用する仕組みなど、多くの智恵が働いています。この知識を生かした学びの場が再生されると素晴らしいと思っています。
 
→2.由佳さん談
 多様性に対する寛容さがもう少しあると良いのかなと思います。
 この地域で暮らすには、団結とか協調が必要であったと思います。
 そうするとどうしても同一性が重要となりますが、その部分で大らかさ、多様性と認めることも重要な時代ではないかと思います。
 また、子供たちにも世界に触れられる情報の選択肢があっても良いかと思います。
 

3.東白川村でしか得られなったものはなんですか

→3.裕幸さん談
 ズバリ、お金では買えない暮らしです。
 街ではお金で何でも買えるのですが、この場所にはお金で買えないものがある。
 
 日本中のどこの里山でも同じことかもしれませんが、水も買えるものではないし、この場所「大明神」というところは、人が住み始めて300年続いています。
 どれだけお金があっても買えないものが、ここにはあると思っています。具体的にお金で買えない暮らし、それは、まずは家族と一緒にいられる暮らしです。
 
 街で暮らすと、どうしても働きに外へ出なければいけないのですが、生活の基本である家族と一緒にいられる暮らしがまず一番です。
 家族が一番ですから、そうした暮らしが出来ているのもこの場所ならではと思っています。
 
→3.由佳さん談
 この村で暮らすことの価値として、私は鍼灸師として仕事をしていますが、街場でこの仕事をするのでれば、テナントを借りて、お客様駐車場を借りる必要があります。そしてチラシを出すという投資が必要になります。ここでは、これらの必要がありません。
 良い仕事をしていれば、すぐに口コミとして情報が伝わるので、チラシなど出す必要がありません。悪い情報も伝わってしまうということはありますけどね…。
 
 また女性がこの仕事をしていると、見知らぬ方が来られると困ってしまいますが、ここでのお客様は誰かの紹介なので、安心して仕事ができるのも有難い一つです。
 
 この村に来て得られたものの一つに日々の暮らしがあります。
 都会で暮らしていた時には、休息などには旅行をするなどしていましたが、東白川では他へ行く欲求が全くないということに喜びがあります。
 旅に出たりする時間があるのであれば、自分をメンテナンスしたりすることに時間を使いたいですね。
 なにしろ、景色が綺麗、空気が綺麗、空が綺麗、水が綺麗と、それらが満たされていれば毎日が過ごせるということに、他ではない有難さを感じています。
 
 この村にいると、空気と水と空の美しさで、ミシュラン三ツ星ですね。
 

 

お問い合わせ先

東白川村 集落支援機構(つながるナビ事務局)

0574-78-3111(内線:800)

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